2019.12.1
歴史の岩陰にも〝金銀〟あり~「佐渡を世界遺産に」に学ぶ~
事務局からのお知らせ
今年度シニアカレッジ新潟1年次でご講義いただいた「佐渡を世界遺産にする新潟の会」講師の山田修さんから受講生の皆さんへメッセージをいただきました。
「佐渡を世界遺産に」と、金の採掘の歴史等の文献に当たっていると読書領域がタテにヨコに広がっていくことがよくわかります。佐渡で11世紀(平安時代末)に砂金が採られていたらしいことは、「今昔物語集」に見ることができます。〝佐渡ノ国二コソ金ノ花栄タルトコロ〟の記述があるのです。古の時代から平成元年に金の採掘を停止するまでおよそ千年。気の遠くなるような時間の経過を背景に記録や絵巻が残り、近年の書物に陰に陽に影響を与えています。
●江戸幕府初期の財政をささえる
〝佐渡の金は時の政権の基盤を支えた〟といわれても「具体的にどのように支えたのだろう」と当然の疑問が湧くのは私だけではありません。近年の大著である大野瑞男著「江戸幕府財政史論」(吉川弘文館)には、幕府財政の2割を佐渡の金銀が担っていたことが示されています。時代が進むにつれ幕府の収入は直轄領からの年貢のほか国役・助郷役(労働負担だが次第に金納化)、運上金(売上税)に冥加金(免許料)、御用金(長期国債)そして後で述べる貨幣改鋳益金と増えていきます(「一目でわかる江戸時代」(小学館))。
●勘定奉行・荻原重秀の登場とその評価
17世紀末から18世紀初めにかけて登場するのが佐渡奉行を22年間務めた荻原重秀ですが、彼の名は坑道に詰まった地下水を抜いた「南沢疎水道」の開削で知ることになります。しかし本領は「貨幣は国家が造るもの。たとえ瓦礫であっても構わない」と金銀を本位とする金属貨幣の限界を喝破したことではないでしょうか。「勘定奉行 荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚」(集英社新書)や「貨幣の鬼 勘定奉行荻原重秀」(講談社文庫)の読後は、佐渡の向こうに透けて見える幕藩体制下の経済を垣間見る思いがします。
●歴史は勝者がつくる
前出の本によれば荻原重秀は、同時代に生きた将軍お抱え学者の新井白石に疎まれます。膨大な著書を残した白石とほとんど記録のない重秀では勝負にならず、私などは荻原という優れた旗本がいたことすら初めて知りました。貨幣改鋳によるインフレの元凶として悪名が残りますが、真の原因は重なる冷害の影響が大きいのでは、と言われます。こうした書物にはあの田沼意次の名も登場しますが、賄賂の権化といわれる陰で幕府の租税制度の矛盾に気づき、実は財政再建に奔走したといわれる人物。佐渡と金山を学ぶ過程には日陰にも輝く〝金銀〟がごろごろしていることに気づかされます。
(令和元年11月記)
【佐渡を世界遺産にする新潟の会 専任講師 山田 修】
【講義の様子】
「佐渡を世界遺産に」と、金の採掘の歴史等の文献に当たっていると読書領域がタテにヨコに広がっていくことがよくわかります。佐渡で11世紀(平安時代末)に砂金が採られていたらしいことは、「今昔物語集」に見ることができます。〝佐渡ノ国二コソ金ノ花栄タルトコロ〟の記述があるのです。古の時代から平成元年に金の採掘を停止するまでおよそ千年。気の遠くなるような時間の経過を背景に記録や絵巻が残り、近年の書物に陰に陽に影響を与えています。
●江戸幕府初期の財政をささえる
〝佐渡の金は時の政権の基盤を支えた〟といわれても「具体的にどのように支えたのだろう」と当然の疑問が湧くのは私だけではありません。近年の大著である大野瑞男著「江戸幕府財政史論」(吉川弘文館)には、幕府財政の2割を佐渡の金銀が担っていたことが示されています。時代が進むにつれ幕府の収入は直轄領からの年貢のほか国役・助郷役(労働負担だが次第に金納化)、運上金(売上税)に冥加金(免許料)、御用金(長期国債)そして後で述べる貨幣改鋳益金と増えていきます(「一目でわかる江戸時代」(小学館))。
●勘定奉行・荻原重秀の登場とその評価
17世紀末から18世紀初めにかけて登場するのが佐渡奉行を22年間務めた荻原重秀ですが、彼の名は坑道に詰まった地下水を抜いた「南沢疎水道」の開削で知ることになります。しかし本領は「貨幣は国家が造るもの。たとえ瓦礫であっても構わない」と金銀を本位とする金属貨幣の限界を喝破したことではないでしょうか。「勘定奉行 荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚」(集英社新書)や「貨幣の鬼 勘定奉行荻原重秀」(講談社文庫)の読後は、佐渡の向こうに透けて見える幕藩体制下の経済を垣間見る思いがします。
●歴史は勝者がつくる
前出の本によれば荻原重秀は、同時代に生きた将軍お抱え学者の新井白石に疎まれます。膨大な著書を残した白石とほとんど記録のない重秀では勝負にならず、私などは荻原という優れた旗本がいたことすら初めて知りました。貨幣改鋳によるインフレの元凶として悪名が残りますが、真の原因は重なる冷害の影響が大きいのでは、と言われます。こうした書物にはあの田沼意次の名も登場しますが、賄賂の権化といわれる陰で幕府の租税制度の矛盾に気づき、実は財政再建に奔走したといわれる人物。佐渡と金山を学ぶ過程には日陰にも輝く〝金銀〟がごろごろしていることに気づかされます。
(令和元年11月記)
【佐渡を世界遺産にする新潟の会 専任講師 山田 修】
【講義の様子】